05-06 Players tracks 「4.アウグスト」
川崎が誇るレフトミッドフィルダーは、1968年生まれのブラジル人。鹿島に在籍していた時以来、3年振りのJ1となった05シーズンにおいて、年齢的に年寄りになっても高いパフォーマンスを見せ、スピードが衰えてもラテラウが務まることを証明した。
オープニングゲームで肩を痛めながら同点ゴールをアシストし、翌週の対浦和戦で見事なフリーキックを決めた。そして、第4節の対東京V戦で絶妙な判断から攻守を切り換え、唯一のゴールを決めてみせた。
関塚監督はチームのストロングポイントとして、左サイドを重要視した。3-4-1-2というフォーメーションでのサイドミッドフィルダーは、指揮官がウィングバックと呼ぶように、縦に長い距離を走り、基本的には担当のサイドをひとりで管理しなければならない。アウグストがアタックに比重を置ける方法が必要だった。それが、対岸の長橋を一時的にバックラインへ組み込み、伊藤が左サイドを注視する「3+1」のメソッドである。アウグストは肉体的疲労から低調なプレイを見せる時期もあったが、故障によって戦列を離れることはなく、中心選手として出場を重ねていった。
しかし、ベテランのブラジル人選手はサウダージを隠していた。家族が母国を懐かしみ、知り合いに会えないことを辛く思っていたという。帰国を決意し、もう1年間現役生活を続けた後、監督の勉強を始めるつもりと言って、2005年12月4日、惜しまれながらブラジルへと戻っていった。
アウグストの本当の魅力は、間違いなく麻生にあった。
例えば、紅白戦でアシスタントレフリーを務めたスタッフが、ゲームの最中に携帯電話が鳴り、仕事の都合で先方と話しながら旗を持っていた姿を見て、「ナニソレ!」と怒鳴りつけ、傍で慌てた別のスタッフが旗役を替わったことがあった。最大のアピールの場として選手が努力する紅白戦をテキトーに裁いてもらってはたまったものじゃない。アウグストはこの類の手抜きを見た瞬間、頭に血が上るプロフェッショナルな人間だ。ただし、電話を終えたスタッフが申し訳なさそうにしていると、すぐに「ウン、ダイジョウブヨ」と笑いを誘う優しさを合わせ持っていた。
また、息子のセザールを同伴し、トレーニング終了後、フッキと3人で遊ぶ光景も見られた。それは、アラゴネイが入団する前の話であり、18歳のフッキが半年も経たない内に川崎に慣れた大きな理由となった。
今年、麻生でアウグストがシュートのトレーニングで成功する度に、公式戦同様の喜びのパフォーマンスと雄叫びで周囲を盛り上げることはない。それは、ファンの全てが感じる寂しさであり、懐かしく愛しい思い出である。
Text by H.Nishikawa.(Tuesday, 17 January, 2006, 11:50)
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