Blue Players 長橋康弘 「等々力の職人」
「夜8時半の男」
長橋康弘は静岡県に生まれ、静岡県で育ち、1995年に清水エスパルスに入団した。当時の清水には、故宮本征勝監督を慕う関塚コーチの姿があった。
ルーキーイヤーでスーパーサブとして活躍し、そう呼ばれた。ナイトゲームにおいて、夜8時半頃にフィールドへ現れアクセントを放つことで、リニューアルオープンした日本平を沸かせたのだ。その年の9月には、日本人に帰化したばかりの三渡州アデミールのゴールをアシストし、3日後に自身のプロ初ゴールも記録。静岡県出身の有望株として、順調なスタートを切った。
しかし、翌シーズンに就任したアルディレス監督は、11名を固定することでナビスコカップを獲得。構想外となった長橋の出場機会はゼロに終わり、新天地へ活躍の場を求める。川崎がJリーグを目指すためにプロ化したところだった。
1998年J1参入決定戦、1999年J1昇格、2000年J2降格。そして、J2での4シーズンを経て、J1へ復帰。「1回目の昇格の時のほうが、単純な嬉しさでいったら大きかった」と述べ、「(2回目の昇格は)いろんな意味で感慨深かった」とした長橋の言葉は、川崎フロンターレの歴史を端的に表わしている。スパイクは等々力の芝に敷かれたチョークで汚れてきた。
イケイケのアタッカーとしてデビューした「夜8時半の男」は、川崎の右サイドの職人として定着。今シーズンもレギュラーとして、J1ではイエローカードを一枚も受けず、元気にサイドラインを踏み続けている。
4月の対東京V戦後に「どうしても勝点3が欲しかったので、攻め上がりたい気持ちを抑えていた」と述べた通り、「一昨年ぐらいからディフェンスを重視」してきたことで、献身的プレイスタイルを体現するようになった。J1を戦う川崎にとって、その点は歓迎されている。関塚監督が「3+1」のメソッドを重用しているからだ。
つい先日の対新潟戦の事である。大方の予想に反し、反町監督は4バックを採用し、実力のある2トップを活かすためにフィードボールを多用してきた。キックオフからの20分間、川崎は戸惑うこととなった。
当然のように、長橋はバックラインへ吸収されるようにリトリートし、伊藤がオリジナルポジションより左へ5メートルほど移動し、変則的4バックを敷く。メソッドの体現によって、鈴木健のオーバーラップは虚しい結果を重ねていった。その後、鈴木慎と対峙し、結果は周知の通り。ふたりの鈴木は、長橋との駆け引きに敗れた。
一方、5月の対千葉戦では、カウンターの流れからアウグストのラストパスを受け、「自分でも覚えていないぐらい久し振り」とのゴールを決めた。どのような役割を与えられても、タイミング良く攻守を切り換え、激しい上下動でサイドラインを駆け上がる姿勢を忘れてはいない。
円熟の領域に達した不動のライトミッドフィルダーは、川崎のために働き続ける。四季を通じ、趣味の釣りへのんびり出掛けることは、数年待たなければならないようだ。
Text by H.Nishikawa.(Saturday, 8 October, 2005, 19:30)
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